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当社が調査・設計を担当!絶景すぎると話題の山口県「角島大橋」は島民の声から生まれた橋だった!

こんにちは!note編集部の遊佐です。
当社が調査・設計を行った山口県下関市豊北町と同市豊北町角島間に架かる「角島大橋」は、2022年11月3日で開通22周年を迎えます。

角島大橋(山口県)

この「角島大橋」をテレビCMやポスターなどで一度は見たことがあるのではないでしょうか?今回はこちらの調査・設計に携わった河辺さんに角島大橋誕生秘話を伺いました!

担当者:河辺さん

河辺真一
所属:広島支店支店長/執行役員
経歴:1982年04月 入社  
   ~2005年06月 広島支店
   ~2011年06月 本社 橋梁部
   ~2015年06月 東北支店 道路・構造部
   ~2022年現在 広島支店
専門分野:橋梁

① 島民の願いが叶えた「夢の懸け橋」

橋を実現したのは「島民の声」年賀状作戦で掴んだ橋の実現

本州最西端に位置する離島であった角島は、島民約1000人。本土へは1日7便の渡船しかなく、通勤・通学(島には中学校まで)の不便や漁獲資源運搬の鮮度低下、診療所しかなく出産や急病などの救急患者への対応など、さまざまな問題点を抱えていました。また、渡船は、日本海特有の波浪により欠航も多く、本土への架橋の実現は、島民にとって長きに渡る「夢」でした。

そこで1983年(昭和58年)、角島豊北町の町議・工藤氏は、島民300人からなる角島大橋建設の期成同盟会を立ち上げました。「子や孫の代のくらしを考えたら今、運動をやっておかないと、だめなんだ。」という想いであったと言います。度重なる上京による陳情などや、“年賀状作戦“などを行いました。“年賀状作戦“は、のちに山口県知事となる当時の山口県企画部長・二井関成氏や当時自民党幹事長であった安倍晋太郎氏などに「はやく、つのしまに 橋を かけてください」「つのしまの はしは ぼくたちの ゆめです」などといった角島の小学生らの書いた年賀状を送ったのでした。購入した年賀状は1千枚にもおよび、対象は県選出の国会議員や知事、県の部課長たちだったと言います。この作戦が届いたのか、ようやく橋の建設事業が始まりました。

②細部までこだわった設計、周囲と一体化した美しい景観の創出

第1種国定公園にあって周辺の自然やコバルトブルーの景観を壊さないルート検討。そして最大限自己主張しない「目立たない橋」へ。

<計画当初>
当社は1988年(昭和63年)、「角島大橋の経済調査」業務を山口県より委託を受け、架橋事業との関わりが始まりました。
そこでは、架橋の意義、整備効果、概略整備計画の立案を実施しましたが、この段階では詳細な海象気象、地形・地質調査のデータが不十分であり、ルートは水深が浅い中間鳩島の南側に直線的に設置し、橋の形式はコンクリート製の斜張橋を想定していました。

<予備・基本設計時>
予備調査(地形、地質、波浪・潮流、風速、底質、環境)後の設計段階では、当初の計画を一新し、以下の景観コンセプトで事業を進めていきました。

船の道であり、海峡であり、リーフである
この橋を利用する人々にとって自然環境を眺望できる空間の演出と主役はあくまで海や島などの周辺景観であり、周辺環境との調和と融合です。
この橋梁の描く形が、角島と本土の山波や鳩島(中間の小島)より低く見え、海面により近く、時に海面に消えるかのように控えめであり、あたかもリーフのように柔和な存在感をコンセプトとして架橋ルートの設定、縦断・平面線形計画から構造形態、構造細目に至るまで景観に配慮した設計を行いました。

架橋ルートは、4ルートを立案し、国定公園1種区域にあり中間にある鳩島の改変や漁業資源(鮑、サザエ、ワカメ)となる岩礁を極力避け、平均水深が浅い、鳩島迂回ルートを選定しました。
また、斜張橋としていた橋梁も、景観に対する住民の意見から見直し、季節風が強く厳しい塩害環境においても暴露面積が小さく飛来塩分の影響軽減が図れるコンクリート製の連続箱桁構造にしています。
橋の側面形状は、本土から波が被らないぎりぎりまで一気に降ろし、船が通る航路部に向けてまた一気にアップダウンさせる形状としています。箱形のシンプルな連続ラインと鳩島を迂回する平面形状と融合し、曲線の変化に富んでいながらも、「目立たない橋」を実現しています。

<詳細設計時>
詳細設計時も、景観に配慮したさまざまな工夫を凝らしています。
●夜間景観の配慮
夜間景観は、照明の計画が重要となります。そこで歩行者の通行の安全を確保しながら、海面への照明漏れの軽減を図りました。季節によって景勝となるイカ釣り漁船の漁火との干渉を避けるよう夜間のCGの検証を行って、照明間隔や漏洩、調光、減光の計画を行っています。

●連続性・一体感の確保
船が通る航路区間は、部分的に鋼桁を適用していますが、コンクリート桁と連続性・一体感を確保するため側面ラインを統一しています。色彩は主張するカラフルさを求める声もありましたが、「周囲の環境に調和する、目立たないこと」が重要として鋼桁部分もコンクリートと同系色としています。

●橋脚の形状とテクスチャ
橋桁と梁(はり)部の連続性を確保するため、脚頭部で円錐を垂直にカットした梁形状としました。また、コンクリートが経年によって汚れが目立たないよう、転用型枠の計画、テクスチャの改良や雨水の誘導溝を配置するなどの細工をしています。


③ 建設中に起こった “自然との闘い”

建設途中の橋脚が、想定外の波の発生源に!

設計が終了し、1993年(平成5年)から建設工事が開始されました。しかし、そこでは予想外の事態が起こりました。9月1日、建設を担当する責任者より「鳩島周辺で波が橋桁の高さを超えている」と連絡が入ったのです。河辺は「波がかぶらないぎりぎりの海面の高さ」にこだわって設計を行っていましたが、送られてきた写真には橋脚の2倍以上の高さの波が襲っていました。
波が橋桁を超えるということは、「車が通れない」ということ。開通時期も遅らせられない状況でした。そこで京都大学防災研究所に相談したところ「複雑な海洋条件が重なって、建設途中の橋脚に波がぶつかることで異常な高さの波の発生源になっている」ということが分かり、橋脚の周りに消波ブロックを置くことで解消を図りました。
また、1995年(平成7年)に発生した阪神淡路大震災などの教訓から、建設途中でありながら橋脚の強度を高くすることも求められました。建設中にも関わらず、次々に起こる“自然との闘い”を乗り越えなければなりませんでした。

④ 厳しい冬の日本海にありながら、7年で完成した秘訣

日本海特有の波浪が厳しく、海上作業は年間の約半分…なのに7年で完成できたわけ。

角島大橋は、気象の厳しい日本海に面しており、毎年10月~4月頃までの半年間は海上での工事ができない環境です。
そこで採用したのが、プレキャスト工法と呼ばれる、陸上で分割してパーツを作り、海上で組み立てる方法です。当時、この工法は国内でも数例しかなく、多くの建設関係者(年間2000人ほど)が視察に来たと言われています。
このプレキャスト工法により、工事着工から7年という短期間での完成が実現できました。

⑤ 周辺観光客100万人越え! 島民の想いが叶えた奇跡

「ここなら、奇跡が起きる。」映画や CM のロケ地として、人気の観光地に。

角島大橋完成から数年後、「ここなら奇跡が起きてもおかしくない。」そう言ったのは映画『四日間の奇蹟』の主演を務めた吉岡秀隆さんでした。山口県下関市出身の映画監督である佐々部清氏は、角島大橋の美しさに圧倒され『四日間の奇蹟』の撮影にあたって、この地をロケ地としたいとプロデューサーに訴えたと言います。そして、2005年(平成17年)に映画は公開され、その美しさに大きな反響を生みました。その後、角島大橋は、テレビドラマや自動車CMで多く採用され、2013年(平成25年)には三才ブックスより発行された『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』にも掲載され、日本で見られる絶景スポットとして有名になりました。
それに比例して、観光客も増加。新型コロナウイルス感染症流行前の2015年~2019年には年間100万人を超える観光客を迎えるまでとなりました(2020、2021年は60万人ほど)。

河辺さんから「若手技術者へのメッセージ」

設計当時、上司から「なんのために仕事をしているのか」と厳しく叱られたことは今でも鮮明に憶えています。目の前の仕事を大切にして良い仕事をすれば、周囲から信頼が寄せられ、結果としてやりがいのある仕事や面白い仕事を任せてもらえるようになります。技術者のキャリアは信頼の積み重ねです。どんなときも仕事に真摯に向き合い、チャレンジする気持ちを忘れないでください。そんな姿を見て、上司や執行チームのメンバーは必ず支援してくれます。

さいごに

島民の想いが実現した「角島大橋」。この橋は、単なる島と本州をつなぐ橋ではなく、新たな観光という価値も生み出しました。当社は総合建設コンサルタントとして、ただインフラを作るだけではない「新しい解」の提供にこれからも挑戦していきます。

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